欧州評議会「文化の道」

ヨーロッパは招く


                 

ヨーロッパは招く!

本当です。
ヨーロッパの呼び声に耳を傾けてください。

発信地は、リュクサンブール(ルクセンブルク)大公国リュクサンブール市。
同市の旧市街の廃墟の一角に置かれている欧州評議会「文化の道(ヨーロッパ・カルチュラル・ルーツ)」機構です。




ヨーロッパ・カルチュラル・ルーツ機構
L’Institut Européen des Itinéraires culturels,
The European Institute of Cultural Routes 」(IEIC, EICR)

このInstituteの訳語に迷っています。協会ではね?何か違うなと。

念のためアドレスを記しておきましょう。
 Abbaye de NeuMünster, Bâtiment Robert Bruch,
28, rue Münster L-2160 LUXEMBOURG


アドルフ橋
&&&&&&
アドルフ橋ないしヴィアデュック橋を渡り、旧市街から右手に折れた小道をだらだらと下ったところ、ムンスター通りに「出会いの広場」Parc de rencontreがあり、よく欧州評議会のイベントが開催されます。

「ヨーロッパ・カルチュラル・ルーツ機構」は、そのちかくの城郭墟(?)の一角をオフィスにしています。
&&&&&&&&&&&&&&&

I. ヨーロッパ・カルチュラル・ルーツ(文化の道)と文化首都

ヨーロッパ・カルチュラル・ルーツ(文化の道)
  No.1 「サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼の道」

ヨーロッパ・カルチュラル・ルーツの第1号として1987年に策定された道です。これを主題として3人の兄妹が聖地まで旅する物語をコリ-ヌ・セロー監督が映画にしたものですが、邦題を「サン・ジャックへの道」としてしまったためにわかりにくくなりましたね。日本でもよく知られており、毎年多くのひとが参加している巡礼の道なのに。でも、これがヨーロッパ・カルチュラル・ルーツの先駆けとして、欧州統合に大切な役割を果たしていることはあまり知られていないかもしれません。
 以下これからヨーロッパ評議会文化協定で推進する20ほどのルーツをひとつひとつご案内して参りましょう。
 これらの文化の道をヨーロッパの地図上に引かれた線とするならば、それらの拠点としてちりばめられたヨーロッパ文化都市、さらに2000年に改称されてヨーロッパ文化首都をご紹介してまいります。
まず「サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼の道」への地図を掲げましょう。


左上にロゴマークが見えますが、これはEU(欧州連合)のマークではありません。

Council of Europe (欧州評議会)のマークとサンティアゴ、つまりサンジャック(ホタテ貝)のマークを組み合わせたマークで、
創立12国を象徴する12の星の下に欧州を貫いてサンティアゴ・デ・コンポステラの地へと連なる道が描かれています。
なぜホタテ貝なのかはおいおいと探っていきましょう。


(欧州評議会については、以下の文章参照。→ 「ヨーロッパ審議会(評議会)と文化政策」)http://ci.nii.ac.jp/naid/110000473309)




ホタテ貝はイエス・キリストの12使徒のひとり聖ヤコブ(Santiago)のシンボルとされています。聖ヤコブは、主としてヒスパニアの地で布教活動を行って、エルサレムに帰ったところをヘロデ・アグリッパ一世によって断首され12使徒中最後の殉教者となりました。遺体はヒスパニアの地の果て(フィニス・テラ)に運ばれ(あるいは舟に乗せられて流れ着き)、ながい年月を経て9世紀に星に導かれた羊飼いによって発見されたといいます。その地に教会が建てられ、古くから巡礼の地としておおくのひとびとが訪れるようになり、ローマ、イエルサレムとともにヨーロッパ三大聖地として発展をしてきました。ヨーロッパ各地からこの北端の地に至る巡礼の道は網の目のように連なり、「ヨーロッパ・カルチュラル・ルーツ(文化の道)第一号となったのですね。

2011年には世界遺産サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂800年祭が盛大に祝われました。


「サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼の道」への出発
さて、いよいよ「サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼の道」への出発ですが、私の場合マドリードからレイルヨーロッパの夜行列車に優雅に身をまかせるという邪道を犯しました。

とても巡礼の旅を語るには役不足なので、先の映画『サン・ジャックへの道』にしたがって歩を進めることにしましょう。

遠くスペインの最果ての地(フィニス・テッラ)にまで至るこの道程は、フランス側からアクセスするのに4つの出発点があります。
パリ、ヴェズレー、アルル、そしてこの映画のように、ル・プイ=アン=ヴレです。
高校教師てラディカルな無宗教主義者、失業中の夫と娘をひとりで養っている頑固者のクララ。中でもすさまじいのはピエールだ。会社の社長で片時も携帯電話と薬を手離せない仕事人間のピエール。
妻はアルコール依存で自殺願望がある。そして妻に見捨てられ、酒びたりで一文無しで娘に金を無心するクロード。
この3兄妹に公証人から母の遺産相続をめぐって遺言が言い渡される。
それは「母親の死後5ヶ月以内に3人が同宿で徒歩でル・プュイからサンティアゴ・デ・コンポステラまで巡礼の旅をすること」というのでした。
この3人のキャラクターは実に周到に配置されており、原理主義、功利主義、敗北主義の表象となっています。
無宗教を理由に巡礼に出ることを頑強に拒否するクララ、会社経営と妻のアル中を理由に巡礼などを言い出した母の無謀を罵倒するピエール。
それにくらべて落ちぶれて気弱そうなクロードがどこか人間的に見えます。
このアイロニーがこの作品には随所にちりばめられていて、快いアクセントになっています。




三人はいよいよ出発点とされるル・ピュイにやってまいります。
ここでさらに5人の同行者が加わります。
卒業試験に合格したお祝いに旅行をプレゼントされた女の子カミーユとエルザ、
アラブ系のサイードとその従兄弟ラムジー、フラールに頭を包んだ謎の女性マチルド。
そしてガイドのギイです。
人間模様はいかにもちぐはぐで不思議、謎めいています。
第一なんで出発点がル・ピュイなの?
それに彼らの向かう目的地は本当にサンティアゴ・デ・コンポステラなの?
すこしおばかな、ラムジーは、目的地をSaint Jacques la Mecque「メッカのサンティアゴ」と呼んでるけど。

ル・ピュイ=アン=ヴレ・ノートル・ダム大聖堂の「黒い聖母マリア像」

ヨーロッパ各地に見られる「黒い聖母マリア像」の謂われや解釈は他にゆずるとして、この映画『サン・ジャックへの道』では黒い聖母マリアは特別の意味を担っているようです。

一行9人のうちサイードとラムジィはアラブ系、そしてガイドのギイも有色です。

なかでももっとも心優しく、人思いで、人間的なのがラムジィです。

そのラムジィは彼らの向かう先がメッカであると思い込んでいます。

一行が巡礼路の安全を祈願して貰うために、大聖堂の司祭さんとスールたちに迎えられる場面での戯画的な対象が大変興味深いとおもいます。

痛烈なカトリックへのアイロニーと批判罵倒、けたけたと笑うカミーユとエルザ、その後ろでひとり端然とイスに座し黒い聖母に対しているのがガイドのギイで。

彼がみているのは、聖母も聖堂もはるかに超えた彼方にあるもののようです。


ル・ピュイを後にした巡礼の道は、時に厳しくときに美しい自然のなかを進んでいきます。

モアサックのサン・ピエール修道院の美しいロマネクスの回廊が映され、サン・ジャン・ピエ・ド・ボルのサン・ジャックの門が見えてきます。

ここでフランス側の巡礼路は終わり、険しいピレネーを超えるとその先にロンセスバージェス(ロンスボー)が見えてきます。

つぎのポイントはブルゴスです。ゴシック様式のカテドラルが美しくそびえ立っています。

サン・ジャン・ピエ・ド・ポルとサン・ジャックの門




サン・ジャン・ピエ・ド・ポルはフランス側巡礼路の最後のポイントです。

一行がここまで来たとき、3兄弟はガイドのギイから、彼らの母の遺言状では、ここまでの徒歩巡礼が遺産相続の条件になっていた、その条件は果たされたので、この先を続ける必要はない、と告げられる。

しかし3人は自らの遺志で巡礼を続ける。スペイン側最初のポイントがロンセスバージェス(ロンスボー)です。

疲れ果てて大聖堂の宿所に到着したけれども、カトリックの司祭から有色の3人は宿泊を断られてしまいます。

それに激怒したのが、もっとも世俗的で鼻持ちならない差別主義者と思われていたピエールでした。

なんとあれほど兄弟妹間でいがみあっていた彼が、兄弟はいつもいっしょにいるから兄弟なんだとカトリックの神父さんを罵倒し、そして心優しいラムジーはアラーの名において神父さんに祝福を与え、差別的な宿所を蹴って、豪華なパラドールに部屋をとり、ゆるりとバスにつかり、やわらかなベッドに身をゆだねます。

その夜の彼らにはそれぞれ示唆的な予兆の夢が現れるのでした。


巡礼の旅は、一行九人のひとりひとりにいろいろな変化をもたらしていきます。

たとえば、ラムジー。彼は読み書きのできないすこしオバカなアラブ系の少年です。

最初カミーユが綴りの読みかたを教えようとして、ca はカ、ではbaは?

ラムジーはカバと答え、カミーユはバカと答える。ここには日本語が意識されていますね。

そしてカミーユの教え方のまずさに見るに見かねた本当の教師であるクララが密かに教え始める。

最初の話題が「あなたは馬鹿bête)なの」という言葉の問題ですから、あきらかにbacaの文脈が続いています。

しかしラムジーはたちまち読み書きができるようになり、詩を作り新聞も読み、いち早くサッカーの勝敗のニュースまで知ってしまい、昨夜の試合ではマルセイユが勝ったとみんなに教えてあげる始末。

しかし読み書きができるようになったラムジーの変化にみなが最初に気づいたのは、彼が墓所の碑に「若くして死んだ二人の息子」という文字を読んでひどく悲しそうにしたときでした。

やがてもたらされるのは、彼の母の死の報でしたけれども、随所になかなか手の込んだ予兆や默契が配されているのです。

こうしてラムジーは、日常的で庶民的な第1フランス語(le français numéro un)ではなくて、職業言語や上流階級言語としての第2フランス語(le français numéro deux)を勉強し始めます。

クララから、貧しい庶民を軽蔑する支配階級と戦うために彼らの第2フランス語を学べと教え込まれたからです。


変わったのはのはラムジーばかりではありません。

エルザはテレコム社の通信部門の取り締まりという若者に言い寄られて、大邸宅の門を入る夢を見たり、サイードはカミーユの愛をかちとり、マチルトはあいかわらず酒浸りのクロードを見限ってガイドのギイに急接近していく。

こうしてついに目的地のサンティアゴ・デ・コンポステラに到達します。

圧巻は壮麗なカテドラルの景観であり、ミサ中に振り回されるボタフメイロ(大吊り香炉)であり、カテドラルに隣接する豪華ホテル・パラドールでの最後の夜です。

ボタフメイロは長い巡礼の道をたどってきた信者らの汗の臭いを消すためと言われていますが、上から俯瞰するように撮った大香炉の揺れはダイナミックです。

それにパラドール!カテドラルに隣接しているので、聖地をわが庭のように徘徊することができます。
   

Twitter Tweet Button

スポンサーサイト

コメント

タイトルとURLをコピーしました